ゴアであれば、地球の変化及び災害の増加の結果生じる経済的な問題は、主要な問題であっただろうし、これを扱う手法もブッシュ/チェイニーの政策とは大いに違っ
ただろう。ケリーと同じように、ゴアはベトナムで争いに入った。そして、兵役を巧みに回避したブッシュとチェニーは、安全地帯に歩を進めたが、ゴアはそうしなかった。
これは★人格における重要な違いを指摘している。それは、★恐ろしい状況に立ち向かう能力、あるいは逆に言うと、私利のための安全地帯である封鎖をつくり出すための必
要性に至らないことができることである。
ブッシュとチェニーの両者は、次のような人格を示す。彼らは、危険の最初のかすかな徴候で、安全な所へ急いで逃げ、より大きな善に対する責務をやめ、強迫している間中、個人的な安全と快適さだけを考える。これは、彼らがベトナム戦争の間にしたことであり、彼らは、★民衆がいつものように反応すると思って、民衆が最初のかすかな危険の徴候で責務を放棄すると予期して、彼らはしっかりしたカバーアップ=隠蔽を強く要求する。
ゴアとケリーは違った人格を示す。彼らは脅威に立ち向かい請け合うことができ、従って、彼らは、同じようにすると思われる民衆を、全ての知覚に影響する自己の拡大とみなす。
もし、NASAとUSGSを支配し国家安全命令で、合衆国内のメディアの報道に圧力をかけることができる政治家が、ゴアとケリーが代表するような、より堅実で円熟した指導者の地位にあったならば、世界は、どのように違うだろうか?
人間の文化は、激しい気象、干ばつと洪水、火山噴火、野火、疾病、戦争、地震といった、絶え間ない脅威を受けている。平均的な人間には、これら全ては制御できないも
のであり、権力を持つ組織でも、これらのEM>ほとんどは制御できないものである。
自然からのこれらの脅威の上昇は、人間が仕事や家族や家庭を離れ、通りに叫んで走ることを引き起すだろうか?
普通の人は脅威が起るまで待つ。そうでないと、彼らは、生活をし、請求書を支払い、資産を見守り、責務を遂行することを、経済的に続けることができない。
もし、これが本当でなかったら、そのとき世界の多くの人々は、一日一日を過ごしていくけれども、絶え間のない脅威のもとで、どのように生きるのか?
これらの脅威の着実な上昇は、この理論的枠組を変えない。火山の側にある村の人々を見なさい。彼らは噴火が彼らを不意に襲うまで、避難しようとしない。ヤギは餌を与えられ
なければならないし、田畑は世話されなければならない。大洪水で氾濫すると思われる川沿いの都市を見なさい。そこでは、氾濫する水に土のうで戦い、隣人が隣人を救助するために、避難は断念される。これが普通の人の反応である。普通の人は共同体と心を共にする。そして、ゴアとケリーと同じく、これから逃げない。
従って、増加する地球の変化とこれが示す潜在的な脅威を率直に議論することは、ただ、潜在的な脅威を気付き、その出来事にどんな手段が取られるべきかを気付くことが、増加するだけで、世界が進む道に変化をつくり出さないだろう。海岸線と河川流域を離れなさい。庭園と大小の家畜を持ち、自給して持続する共同体を計画しなさい。
惨状からの廃物を使って、注意深く選んだ必需品で、新しい家庭と納屋を建てることを覚悟しなさい。家庭と生計を失い、より原始的なやり方で生きなければならない可能性に直面すると、民衆は自分の選択できるものを熟慮する。
民衆が火山の噴火や洪水で浸かる都市を予期する時、これは今日とは、どのように異なるか?
今日では、民衆は、店は営業されていて、失ったものには保険がでて、隣人は壊れた家屋を再出発する助けを申し出てくれることを期待する。議論されている可能性は、すべてが荒廃させられるので、★そのような救助は、全く不可能であるという点で、違うだろう。従って、計画は変わるだろう。災害が襲った時は、隠れ場所に走るのではなく、基本的な必需品を持って安全に向けて走りなさい。
危険地帯のほんの外側に足を踏み入れないで、安全に共同体を再建するのが、可能と思われる場所に走りなさい。従って、世界的な激変の可能性を議論することで、民衆は論理的なやり方で、計画し準備することができる。
大型のラジカセとテレビゲーム機は後に残されるが、保存された種と園芸用の道具は、大切にされるだろう。化粧品とハイヒールは荷造りされないが、ビタミンCと救急
セットは荷造りされるだろう。電気を必要とする調理用レンジと冷蔵庫は、薪を燃やすストーブと、乾燥させた豆と米、釣り竿と網で凍結させた肉に置き換えられるだろ
う。もし電気が、無しではすることができない計画者の必需品であれば、暗闇での生活やロウソクとトーチの時代に戻る生活に、本気で風車や水車を計画して、組み立てた
るか購入することがされる。
人が常にもう1つの靴や新しい服装を買うことができるところで、捨てるという考え方は、突然、ウールとレザーの衣類の耐久性と、ペダル踏みのミシンや手道具でこれらを作るやり方に関心がもたれる。Amish(アンマン派の信徒)が、今日利用するような、納屋を高くする技術が研究され、そこではチームワークとてこと手道具が、クレーンとフォークリフトの代用をするが、これらの手道具は、突然に、ガレージから取り出され、十分に油を差される。心構えが変わる。
そして、共同体の中で、彼らの心とともにいる人達が、強制的に離されるという時が、来る時、彼らは、すでに他のどこかで、持続可能な共同体を再建するという道の上にしっかりといる。これは、ゴアであれば、地球の変化をさらに公開し、ますます壊れ易くなるカバーアップを厳しくしないことにより、申し出ていたと思われることである。そして、これは、ケリーも申し出ると思われることであり、ブッシュは、脅威を突き付けられる状況に対処できないという彼の人格の故に、できないことである。