ゼータ・トーク チャット Q&A 2011年12月3日

 最近、ルーマニア国民が王政への復帰を決定したという結果に於いて、英国のチャールズ王子には、「ルーマニアの王になる願望がある」と、メディアは評しています。 ウェールズ公チャールズ、63歳は、英国王室の第一王位継承者として、最も長く仕えています。
 憶測では、彼の長男、ケンブリッジ公爵ウイリアム王子の有利になるように、ルーマニアの王座を選ぶかもしれないということです。 ゼータへの私の質問は: これは、接近している惑星、英国のエリート達の計画と関連があるのですか? ルーマニアは、独立国のままでいるのでしょうか、NATOとの同盟を継続するのでしょうか、それとも元ソ連の占領状態へと復帰するのでしょうか?


 http://romanian.trends.ro/2011/11/prince-charles-contender-for-king-of-romania [別の情報源から] http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2065174/Prince-Charles-king 彼は、退位した王マイケル公が―90歳というかなり老齢にもかかわらず―まだ生きており、彼自身の家族がいるので、常に重要な競争者であるということはありえないでしょう。 王政と結びついているエリザベス女王の方がより強力であり、ルーマニア王マイケル―1927年から1930年まで、そして再び1940年から1947年まで統治した―の3番目の従姉妹です。 民主主義の再導入にもかかわらず、最近数年間、王制の復活の要求が増加し続けています。
 そして彼がまさに数週間前に、歴史的なルーマニアの統治者ヴラド串刺し公―ドラキュラに影響を与えた、血に飢えた貴族―に血族的に結び付けられていると、インタビューで明らかにした後に、チャールズの名前は、今、不思議なことに、一団の中に投じられています。 好奇心を煽るように、チャールズは、信じられないほど、ルーマニアについて熱心です。
 実際に、彼は、トランシルバニアのカルパチアン山脈の辺りの地域を、非常に愛しているので、その地域に別荘を購入しています。 チャールズは密かに、彼がパトロンである、ルーマニアの歴史的なサクソンの村を、破壊から保護するために働いている、英国に本拠多く慈善事業、ミハイ・エミネスク・トラストの援助によって、2005年にヴィスクリの文化遺産の跡地に、質素な漆喰塗りの農地を購入しました。
  彼は、其処でそれぞれの夏に休日を過ごしています。 彼と彼の警備チームは、伝統的な漆喰塗りの村の家―木製の車付き寝台と屋外トイレで仕上げられた―で寝て、地元で搾り出された有機農法によるりんごジュースを飲んでいます。

 何故、英国王室の一員が、2005年にルーマニアに素朴な田舎屋を、“密かに”購入したのでしょうか? 口実はたくさんありますが、鍵となる要点は、明らかです。 屋外トイレがあることです。 地元の果樹園が有機農法のりんごジュースを作っています。そしてチャールズ王子はルーマニアの王族と結びついており、ルーマニアの90歳の退位した王を継承すると主張することができるでしょう。
 女王は、ブッシュとオバマ両大統領と共に、米国内の友人達に保護を求めましたが、拒絶されたと感じました。 彼女は、今、彼女が歓迎されているオーストラリアへ行くことに、強く気持ちが傾いています。 王族であることが免状を考えられているかもしれませんが、チャールズ王子は、より位の低い王族であり、彼は、「巧くやって行かれないだろう」と、恐れています。

 英国の王族は、予想された通りに、2003年に到来した惑星Xに関する私達の予測の正確さを十分によく知っていました。 私達の予測が進展するのを確信をもってエリート達が見ている一方で、 プレート移動のブレーキ・ポイントと私達が描写する大規模なマグニチュード9.5の地震が、あらゆる物事が正常であると庶民に公然と保証しているエリート達をぎょっとさせました。
  チャールズ王子は、単に彼の選択の害を減らしているだけです。
  彼は、彼がシフト後に王族として扱われるだろうと、彼が憶測する場所で、シフト後のために表面上好都合の、ポール・シフトのために、代わりとなる掩蔽壕を、自分自身に与えているのです。

 私の感覚は、モハメッド・エルバラダイが、介入するための彼の機会を待っている潜在者か、スターチャイルドであるということです。 ゼータ達は、これについて検討してくれますか(もし彼が介入するのを待っているスターチャイルドか、潜在者であるならば)?

 [別の情報源から] http://www.presstv.ir/detail/212376.html エジプトの大統領の有望な候補者で、国際原子力機関の元長官エルバラダイは、礼儀正しく尋ねられたら、挙国一致内閣を導く自国の改革的な若者の要求に喜んで心に留めると宣言しています。 政策は、権力を掌握する軍の支配者達に要求する抗議者達への取締りを厳格に強化しています。 過去数日間以上、抗議者達に対して警察の暴力を持続することで、多数の人々が殺され、その他の数千人の人々が負傷しました
  エジプトの軍隊の最高評議会は、元独裁者の没落後、聞く耳を持たない彼等に注がれる、文民政府を要求する一般の人々からの繰り返される要望と共に、政権を握りました。 軍の評議会は、暫定政府を形成するために、カマル・エルガンズーリを選んでいます。 78歳の彼は、1996年から1999年までムバラクの下で首相として仕え、副首相でもあり、企画大臣でもありました。


  [更に別の情報源から] http://en.wikipedia.org/wiki/Mohamed_ElBaradei  改変のための国民連合の指導者モハメッド・エルバラダイは、2009年以来エジプトでの民主的改変のための主要な代弁者であり、最近の抗議運動の間の重要な指導者でした。 然しながら、彼には、米国政府との困難に満ちた歴史があり、中東の安定に向かって、現行の米国の外交政策を支援しない、幾つかの政策を支持しています。 エルバラダイは、1997年〜2009年まで、国際原子力機関の長官でした。 彼の3回の任期の間、保護規定の侵害に関して、イランに圧力を掛ける米国の試みを害するイランの原子力計画への、考えられる軍事的側面についての主張を、彼は、繰り返し控えめに扱っていました。
  2003年7月3日のタイム誌の記事によると、エルバラダイは、ブッシュ政権による主張をも否定して、イラクの核計画が2003年のイラク戦争の前に再開しないように維持しました。 彼は、ガザ地区―エジプト国境―を開放したいと、そしてイスラエルの核兵器のためにイスラエルが中東への最大の脅威であると非難して、2010年7月12日のドイツのニュース雑誌デル・シュピーゲル誌に話しました。 エルバラダイは、イラクでの戦争を誘発することに於けるブッシュ政権の役目に関して、元ブッシュ政権の政府高官達の国際犯罪調査を要求しています。

 エルバラダイは、彼が“アラブの春”で躊躇い、抗議集会の間、他の人々が関わっている程、加わらなかった点で、スターチャイルドではなく、潜在者と呼ばれるでしょう。 このために、彼は、批判されましたが、ムバラクがまだ米国の好ましい操り人形と考慮されて、CIAが情報活動を行っていた時に、一時、自分自身を暗殺から守っていました。 知恵のある人は、行動を起こす適切な時期になるまで、自分の時期を待ちます。
  人々を支援している長い歴史のある人、国民がよく知っている信頼されている統率者の統率力を、エジプトが必要とするようになる時が来るのを、彼は知っていました。 エジプトの人々は、米国やCIAによって動かされる別の操り人形政府を許容しないでしょう。 今や抗議集会が終わって、ムバラクに対する戦いに勝利しましたが、現在責任を委託されているエジプト軍の、不十分な許容できる、代わりとなる方法について、エルバラダイによって導かれる暫定政府を選ぶことは、より小さな害悪であるように見えます。 彼の時期が到来したのかもしません!

 ニュージーランドで、キウィマンは、ティティナンギの自宅から、25センチメートルの天体望遠鏡を使って別の太陽系を捉えた、最初のアマチュア写真家です。 どのようにして、これが可能であったのか、そして彼が使用した反ブルーミングか反グレア技術は、近い将来、惑星Xとその月達の更なる画像を捉えるように、アマチュア写真家を助けるのでしょうか? [別の情報源から] http://www.stuff.co.nz/national/6046887/Kiwis-space-photos-stun-astronomers オークランド人ロルフ・オルセンは、世界中の天文学者達を仰天させた驚くべき画像に、恒星ベータ・ピクトリスと、その周囲を公転する破片と塵の円盤を捉えています。 彼は、アマチュアの装置で、それを行うことが可能であると証明しました。
 オルセンは、最初に、2003年に天文写真に賭けてみましたが、1990年以来、天体望遠鏡を所有していました。 オルセンは、2003年に、デンマークからニュージーランドに移住しました。 主な難点は、恒星の非常に近くを取り囲んでいる塵の円盤を完全にかき消す、ベータ・ピクトリス自体からの圧倒的なぎらつきです。 オルセンは、アマチュアの装置を使って、ぎらつきを遮断することは、不可能だと考えましたが、反ブルーミングCCDによるベータ・ピクトリスの円盤の中央部分の1993年の観察からの科学文書を読んだ後、次に考えました。


 [更に別の情報源から] http://www.nzherald.co.nz/world/news/article.cfm?c_id=2&objectid=10769324天体観測は、自宅の庭の小さな天体望遠鏡から、別の恒星系の、最初のアマチュア写真を撮影しました。 ベータ・ピクトリスの周囲の原始惑星の円盤を形成する物質は、以前に度々大規模な天文台によって撮影されてはいましたが、恒星自体のぎらつきのために、恒星系の写真を、アマチュアが撮るのは、可能であると考えられませんでした。 然し、類似した恒星の画像を捉えて、ベータ・ピクトリスの写真から減じることによって、オルセンは、塵の円盤を明らかにして、星のぎらつきを除去することができました。

この話の中に隠された話があります。“2003年5月15日直後に”ポール・シフトが突然に襲うと私達が予言していた時、 2003年にデンマークからニュージーランドに、オルセンは移住しました。 彼は、ポール・シフトの間(500フィートの高波)、又はシフト後(海面が675フィートまで上昇すると私達が予測している時)か、両方共の間に、確実に海面下に沈む国、デンマークから移住しました。 彼は、地球上でポール・シフトを生き残るのに最良の場所の一つである、ニュージーランドに移住しました。 ニュージーランドは、プレート移動の間、重要な海抜の増加を得るでしょう、社会民主政体であり、シフト後には熱帯地方になるでしょう。

オルセンは、天体望遠鏡を所有し、惑星Xは、2002年〜2003年の冬の間、アマチュアに見える内星系への進路上にいました。 惑星Xの目撃が行われていたという何らかの公然の発表を彼等が行っていたのなら、容赦のなく嘲笑されたけれども、多数のアマチュア達は、私達の座標によって、互いにこの情報を共有して、惑星Xの集合体の移動を記録していました。
 オルセンが2003年に天体写真を始めたことは、これが惑星X集合体の劇的な二重螺旋の写真撮影が可能である時なので、驚くべきことではありません。 私達は、アマチュア達がオルセンの手本を捜し求めて、太陽のぎらつきの中で失われた、現在の惑星X集合体を眺めるために彼の技術をコピーするだろうと、予想しているでしょうか? 彼等は、既にそのように行っています!

2年半以上間隔をおいて撮影された、これらの2つの写真を比較すると、翼のある球体であるように思える物の内(又ZTによると右の位置に)、それぞれの大きさがそれほど大きく異なっていなかったことに気が付くかもしれません。
私の質問は: 天体望遠鏡に捉えられた時に、地球に接近するので、惑星Xがより大きく、そして/又はより明るく見えるのでしょうか、又は必ずしもそうではないですか? 何故、それらは同じ大きさを維持しているように見えるのですか?

 惑星Xの集合体が2002年に内惑星系へと向かい、アマチュアのチームによってCDDの画像に映し出されたのを確認された時に、それは事実変化しました。 始めは、明るい星のような中央部と共に独特なぼやけた集団として見られ、拡散し、中央部の密度が減少するようになりました。 画像に起こっていたことは、集合体の拡散でした、それで月の渦巻き旋回が集合体の近くに群がって見えなかったのですが、寧ろ広大な塵の雲が広がっていきました。
  ナンシーは、これを、最初に遠くから集団として見え、その後、個々の存在として見えるようになる、バッファローの大暴走との類似性によって描写しました。大暴走が次第に接近してくると、群れ全体を見れませんが、唯一の個体のバッファローが見えます。 これは、群れがより小さくなっていることを意味していません。 あなたが群れ全体を見ることが、もはやできないことを意味しています!

 2003年初期に、惑星Xがまだ夜空で見ることができた時に、集合体の写真の捕獲画像は、全体としての集合体を表示していました。 今、地球と太陽の間に拡散された★集合体と共に、月の渦巻き旋回は、個々に見え、度々惑星Xの本体と混同されます。
 翼のある球体は、本体のどちらの側にも、2003年初期の写真で度々はっきりと見えた二重螺旋の集合、その優勢な2つの月の渦巻き旋回と共に、惑星Xの本体を示しています。
 これらの写真の中で、今日SOHO画像におけるように、本体は、副次的な登場人物です。 注目されているのは、本体のどちらの側にもある翼、そしてたなびく尾です。

従って、光を反射する形状は、同じ状態で残りますが、本体のどちら側の破片の量と、本体自体の大きさは、決められないでしょう。 近づいて来ると、あなた方は、益々、集合体―本体、月の渦巻き旋回、及び広大な塵の雲―を、★全体として、見ることができなくなるでしょう。